家族の自死を受け入れるということ
希望の会 代表 前川珠子
5月のドリプラのプレゼン。 生きる喜び 夢は未来に架ける橋
祖父の死を聞く孫と答える祖母
過労死の説明:昔はたくさんいた→話し合いや国の決まりができた。
夢を見ることが大事。
祖父はそれを教えてくれた。
自死したクラスメートの話→自傷行為を始めた。
夫に再会し、情緒不安定だった自分を励ましてくれた。
大学院で研究していた夫。
親が悲しむから自殺はいけないと諭してくれた。
生きるということが大冒険のように思えた。
親友の事故死→受け入れられず、自分を責めた。
友人の勧めでインドを訪問。
しあわせか聞かれた→あんまり→その少年は「夜明けから日没まで」
それを聞いて、自死しないことを誓った。
結婚→子どもが生まれる。
父さんの夢は、イグノーベル賞
電気自動車の材料の研究、未来を作っていくと息子に語った。
東北大学の夫の研究室は全快。
孤独で過酷な復旧
1年後、研究室閉鎖。
2012年1月31日自死。
眠れない。息子は布団から出られない。
息子は学校で問題を起こす。
どうしたらいいか分からず、同じ状況のハッピーの人を探したが見つからず。
こういう出来事があっても、元気でハッピーな母親になるしかない。
過労死として認定。
過労死防止の活動を開始→署名活動等
過労死防止法の法案提出。
息子は一人で考えられるように成長。
夫が気遣った学生も研究者として自立。
彼は、ありがとうと言って息子を気遣い、学生を気遣った。
彼は生きたかった。
信じることから始めたい。
命をかけて彼が教えてくれたことを忘れない。
隣の人に手を伸ばす社会。
父の死後に息子がギターで作った曲が流れる。
語るのが難しく、この映像を使っている。
自死を受け入れることは難しく、話していてもその都度苦しむ。
夫の死は、その過程を見ていて話すことができる。
どんな状況で亡くなった人であっても、どうすることもできない状況があった。
夫が10年間の雇用だった、ことも自分に話すことができなかった。いい夫でいたかった。
本当はその前にどうすることができるか話すことができればよかったけど、過労でそうすることができなかった。
震災復興で大変な状況で、解離の状況になった。
職場の問題で大変だった。
目の前のティッシュをどう取るかとということで怒り出して、二日間飛び出して帰ってこなかった。
死の際まで何度も行って、何度も帰ってくる。最後に研究室の閉鎖があった。
自死を選択したそのとき、本人はいなかった。
自殺から自死への言葉の転換は大きい。
愛した家族はもうそこにいなかった。
おたがいの尊厳を大事にすれば、自死など起こらない。
お互いを大切にするということはどういうことなのか。
尊厳を分からない人同士がぶつかるのが、現代。
「殺」という言葉を使うことくらい厳しいことはない。
どうやって自分たちを大切にするのか学ぶ時期に来たのではないか。
命を大切にすることができれば。
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