自死に関する誤解と偏見に対して、自死の科学的メカニズムと実例に基づいて反論する。


弁護士土井浩之。


弁護士になって20年以上。最初から自死に関わる。過労死・過労自死を担当。遺族が「こんなに働かせてしまって」と悔やむ→「そうではなくて、こういうことです」と話している。

最初は、慰め半分だった。以前、日弁連も自死は医師の問題であって弁護士の問題ではないという感じだった。

仙台では、弁護士会の副会長の時に、スタートさせた。業務を離れても活動し始めた。

依頼者からいろいろ話を聞く。

20代の前半に自死の母、通夜の時に親戚から「なぜ気づかなかったんだ」と責められることがある。

インターネットでも、自死についての偏見がある。「逃げた」「弱かった」。

そういう人は、自分を守るため、あるいは自死が悪いことであるという認識で語っているのかも。

では、気づけば防げるのか、気づくのか、自分の責任なのか。

 

1.自死は悪いもの→遠ざけようという考え。

 自死を刑事罰で罰する国もある。

 WHOは、自死について課題にせよと世界に対してレポートをだした。

 刑罰で罰するという扱いでは減らないと主張。

 救済から遠ざかってしまう。スティグマを押すべきではない。

原因は何か?と言うことに関しては、分析不足のようだ。→理論的に追求していない。

原因は心理学・脳科学的にも明らかになってきているが周知されていない。

社会的に追い込まれた末のものであるということが言われてきたが、その過程については知らされていない。

 

2.家族は気づくものなのか。

 山下教授:うつ病者に対する一般的なイメージは、かなり重症の例。軽症・中程度の場合は、相手に気取られぬように応対している。家族の前では外にも出られないくらいでも、医師の前では「大丈夫です」→先生に悪いから。 気を遣ってしまう。

 医師が気づく前に、自死・離婚届など。

 病識がないことが多い、心配をかけたくないので頑張ってしまう。

 過労自死の場合、疲れている。それで、疲れているのかうつ病なのか分からない。

 特に過労自死の場合、家族が起きている時に帰ってこない。リビングのソファーに寝ているので、家族が気づきたくても気づけない。

 こういったことは、精神医学会では常識となっている。

 家族が気づけないのはやむを得ない。

 

3.自死者は心が弱いのか?

 なぜ自死するのか、追い込まれるとは?

ちょうよしのり:自殺行動の最終段階では、自殺念慮の極度の高まり。興奮・健忘・自動行為が認められ、解離状態が生じている。

・解離状態が生じている。

・解離状態が強いほど自傷は重症である。

・解離性向が強いほど自傷を起こしやすい。

自死の行動自体は目撃されにくいので、後追いではあるが、自死者の家族に聞き取り。

弁護士として、働き過ぎ、いじめが原因で自死を起こしたと弁護士は主張している。

亡くなる前に話を聞くことがあるが、上記は妥当であると感じている。

薬とアルコールを飲んで、おもちゃの銃を万引きして捕まった人がいた。

目当ての銃を買うために、車に乗って買いに行った。

ピストルを入れて盗もうとしている→店員が制止しても自動行為のためやめられない。

視野狭窄:解離仮説と合わせて考える必要。

仕事の中で、例えばバスの会社の人は、できそうもない仕事をする→できない→できない自分が悪いと苦痛になる→これができないと意味のある人間ではない。

上司のパワハラに耐えるか、仕事を辞めるか…だんだんと亡くなる日や方法が具体化していく。→選んでいるのではなく、止めることができなくなっていく。これが解離仮説や視野狭窄の問題。

止めることができなくなっているだけということが理論的に解明されていることであろう。

その亡くなる人が責任感が強すぎるためそうなっていく。

前頭前野の部分が機能障害になっていくということが分かっている。ストレスによって分泌するコルチゾールが影響。

自分の行動を抑制することができなくなる。

まじめでない人は、投げ出すことができる。

ゆがんでいる人は、アルコール、ギャンブルに依存する。(それも似たような構造である。)

まじめすぎて、責任感が強すぎる人は、脳の限界を超えている状況であり、長期的な展望が持てない。

過労自死を担当していくと、実感として分かる。

メーカーの営業マン。休みなし。日曜の午前中に家にいるだけ。1ヶ月前から笑わない。笑うため顔の表情を帰るのもおっくう。それでも、子どもを楽しませるために頑張って連れて行った。

総合職の女性は、人格が変わっているくらいだったが、予約を取って子ども達をテーマパークに連れて行った。

工場長になった若者は徹夜で資材を作っていた。

誰一人心が弱い人はいない。見ていない。実例としてもそう。

そういうことは世の中に知らしめてもらえない。

自殺問題について共著したが、なかなか売れない。

松本先生にコラムを書いてもらった。

松本先生は、自死問題がマトリョーシカのように専門家が自分の問題だけやっていても解決しない。

それで脳科学等をやっている。

防げないものではないが、本気になってやっていなかった。精神科につなぐことだけやられていた。

リスクが生じる前に、家族のあり方、仕事のあり方を提示するべき。

実際の研究でも、一人でやらせるよりもみんなでやるとストレスがかなり減ることが分かっている。

人間関係を深めることで、リスク者を減らすことができ、リスク者がいてもリスクを減らしていける。

 

4.自死リスクを評価する3要素

 一つ以上の対人関係の中での孤立。一つの対人関係だけでも。

 人間性の阻害。暴力やいじめ、パワハラ等の人格被害。これは自分が体験しなくても間接的な体験でも生じる。

 やらなければならいが、もうダメだという感じ→大丈夫か?と聞くのはナンセンスで、そういう状況であればそう理解する。

 

自死問題は、自死をゼロにするのではなく、その先を目指す。

これから、亡くなられた人を生かす、ということ。

その犠牲を教訓にして、ストレスに強い家庭・会社とはどんなものなのか。

それを主張していかなくてはいけない。

肉体はなくなってしまうが、人間の実存では肉体にあるものだけではない。

人の実存は、人との関係の中にあるのではないか、それを発言し続けていく必要があるのではないかと感じている。

無意味に、無知に人を傷つける社会を変えなくてはいけないと思っている。

 




 TOPへ戻る
inserted by FC2 system